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HIPHOPの歴史

HIPHOPの誕生

HIPHOPとは、1970年代、アメリカ ニューヨークのスラム街(サウスブロンクス)で、アフロアメリカン、ヒスパニック系、カリビアンアメリカンが集まるブロックパーティーにより生まれました。
「HIPHOP」という言葉は、HIPHOP創始者の1人でもあるDJアフリカ・バンバータが作り出した造語で、「RAP/MC(ラップ)」「DJ(ディージェー)」「BREAKIN'(ブレイクダンス)」「GRAFFITI(グラフィティ)」の四つの要素で構成された、創造性を象徴した文化(サブカルチャー)を指します。
アフリカ・バンバータ以外にも、創始者としてDJクール・ハーク(ブレイクビーツ発案者)やDJグランドマスター・フラッシュ(スクラッチ技術の流布者)が挙げられます。
このHIPHOPパーティーでDJクール・ハークが生み出したブレイクビーツ(2枚の楽曲の特定部分を交互に掛け、繰り返す音楽)に合わせて踊るダンサーをBreak-boy(Bボーイ)、Break-girl(Bガール)と呼びました。
ニューヨーク サウス・ブロンクス地区

HIPHOP四大要素

HIPHOPとは、HIPHOP四大要素と言われている「RAP/MC(ラップ)」「DJ(ディージェー)」「BREAKIN'(ブレイクダンス)」「GRAFFITI(グラフィティ)」の四つの要素で構成されています。
HIPHOPは、アメリカのギャング文化とも関係があるといわれ、抗争で血を流さない為に銃や暴力の代わりとしてブレイクダンスやラップで優劣を競い、争ったと言われています。
また、ギャングの縄張りを主張したり、情報交換を目的として、グラフィティが用いられていたとも言われています。
RAP/MC DJ
ラップ、MC DJ
BREAKIN' GRAFFITI
ブレイクダンス グラフィティ

HIPHOP東西戦争

1990年代頃から東海岸を代表するショーン・コムズ(パフ・ダディ)が代表を務めるバッド・ボーイ・エンターテインメント(ノートリアス・B.I.G.などが所属)と、西海岸を代表するスヌープ・ドッグ、2パックなどが所属するデス・ロウ・レーベルとの対立が有名なように、両海岸のアーティストたちはお互いを牽制、威嚇、卑下し合いました。
その内容はラップの歌詞にも現れ、それぞれの地域のギャングやマフィアを巻き込んだ暴行、襲撃、発砲事件などに発展しました。
この東西抗争が原因で、2パックとノートリアス・B.I.G.という両海岸を代表する有能なMCを、ともに銃撃事件で失うことになってしまいました。
この事態を重く見たHIPHOP業界で最も成功したといわれるプロデューサーのドクター・ドレーが沈静化に努力し、現在は個人間の中傷を除いて、沈静化しています。
ノートリアス・B.I.G.と2パック

HIPHOPの世界進出

その後、先に述べたスヌープ・ドッグや2パック、エミネムなどHIPHOPアーティスト(MC)のメジャーヒットや、映画「フラッシュダンス」のワンシーンを火付け役に、ブレイクダンスをテーマにした映画「ビートストリート」などの公開で、世界的にHIPHOPミュージックやブレイクダンスが流行し、HIPHOPは世界各国に広まるようになりました。
近年ではグラフィティに高いアート性を評価する動きもあり、更なるHIPHOP文化の発展が進んでいます。
HIPHOPの世界進出